2009年11月20日

なぜ薬物依存に陥ったか その3

精神病院から退院してから、私は学校を休学し、実家の広島に帰って自宅療養をはじめた。

ここで、初めて「離脱症状」というものを体験する。
イライラして何にも手に付かない。好きな絵さえも描くことができない。
朝起きるとまずリタリンの事を考えるし、寝る前も必ず手招きする。
リタリンを飲んだ時の爽快感が頭にこびりついて離れないのだ。
しかし、もう幻覚や妄想はこりごりだ。友達をはじめとした多くのものも失った。
私はひたすら耐えた。

六ヶ月もすると、離脱症状もほとんどおさまっていた。
私は復学するために、再び京都に戻った。
一年留年したものの、なんとか無事に卒業したのが22歳の頃。
私は実家のある広島に帰って、テレビ局の会社に就職した。

仕事はキツかった。毎日深夜まで働き、会社に何日も泊まり込む事などザラだった。
それでも耐えれたのは、リタリンをはじめとして、一切のクスリと名のつくものを断っていたからだろう。
一年が経ち、仕事も楽しくなってきたのだが、給料が少ない割に労働時間が長すぎること、仕事内容がキャリアに繋がらないことを理由として退職した。

私はデザインの仕事がしたかったのである。
ちょうどその時、広告デザイナーの会社に就職が決まった私は、期待に胸を膨らませて入社した。

しかし、入社して愕然とした。
私には、広告を作る才能などこれっぽっちもなかったのである。
どの写真をどこに配置していいかわからない。文言をどこに配置していいかわからない。レイアウトができない。
つまるところ、私は美大に通っていて、絵を描いたり見たりするのは好きだったが、広告というレイアウトが中心のデザインに関しては、知識も興味もなかったことを思い知らされたのである。

私は焦った。
みんなが私を馬鹿にしているような気がする。無能者扱いしているような気がする。

そして、私は焦燥のあまり、一年ぶりに抗不安薬(レキソタン)を飲み始めたのである。

最初はよかった。
不安や疑心暗鬼が軽減され、仕事もなんとかこなせた。
だが、リタリン依存の経験から、私にはクスリを大量服用する癖がついていた。
たちまち抗不安薬の量は増大し、すぐに効かなくなった。効かなくなると、今度は睡眠薬(アモバンやロヒプノール)を抗不安薬代わりにするようになった。

だんだんおかしくなる。
仕事のミスはそれほどでもないのに「自分は人間のクズだ」「自殺するしかない」などという思いに取り憑かれるようになった。

入社して9ヶ月目、ついに精神的に耐えられなくなって、辞表を提出した。
その影に、依存症の影があるとも知らずに……。
posted by baron2 at 02:00| Comment(0) | なぜ薬物依存に陥ったか | 更新情報をチェックする
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